千葉益子賞花嫁着付全国コンクール

昭和39年発刊 極付「花嫁」(千葉益子著)
序にかえて より

きもの―。
なんとなつかしいひびきをもった言葉でしょう。
日本の女の、いえ、世界の女性の賞讃するこの美しいものに魅かれて、
唯一筋に歩み続けてきた道でした。
遠い昔、
花ともつかぬほのかな匂いがあまくこもる部屋に縫いものをする母の傍で、
人形に着物を着せていた私。青々とした麦畑の間を、
つのかくしの中に顔をうずめる様にして手をひかれてゆく花嫁を、
あこがれと驚きで見惚れていた私。
その幼かった心に一粒の麦は落ちたのです。
そして、実を結びはじめたのです。

それから幾歳ー花嫁をつくる仕事に明け暮れする毎日が、
きものというものをより一層身近に感じさせる様になったのです。
花嫁姿を、こんなにも美しいものがあるだろうかと思いつづけ、
双の手に祝福と幸せをこめて四十有余年ー。
その時折の特別な感慨も想われて、
フィルムの一こま一こまはつきるものではありません。
和服をこよなく愛するこころと、
その技を極めたい前向きの情熱が、
常に私を支えてくれました。
それにつけても日本のきものの何と素晴らしいことでしょう。
この着物姿を具現化した花嫁姿に魅惑された私の一生といっても
過言ではないでしょう。

衿をかさね、褄を合わせる―肩の優艶で清麗な趣き、
この自在な線のつくりと処理の巧みさ!

そこに女が生まれるのです。
昨今、奇をてらった型のものが創られている様ですが、
その成立ちと必然性はともかくとして、
花嫁の本質が変貌して別のものになってしまわぬようにしたいものです。
新しさのための新しさはどのようなものでしょうか。
今後も時勢の推移でなお変化はあるでしょうが、
本質の普遍性をしっかり把握することを忘れてはなりません。
きものの心は正確に順を追い、
充分手を加え、無駄はとりのぞき、
風格と荘重美を失わぬ仕事をすることだと云う私の信条は、
今日なお変わっておりません。

昔ながらのこの真のものが、
新しい息吹きを持った人々によって受継がれる時、
そこには決して古さはないと信じているのです。
すぐれた詩と芸術とによって遺された正統の美と形は、
その歴史をつぐ人々によって形を保ち、更に昇華され、
いよいよ美しさは極まってゆくでしょう。

この日本の形を、いつ迄も存在あらしめたい願いを抱きながら、
私はいまもあらたな感激で花嫁姿により添うているのです。

千葉益子先生 略歴

明治31年・兵庫県豊岡市生まれ。
大正3年・県立豊岡高等女学校卒業、マリールイズ美容院に入門。
大正5年・マリールイズの養女となり、後継者となる。
昭和4年・マリールイズ美容女学校副校長就任。
昭和12年・美容研究のため欧米へ。
昭和20年・空襲による罹災のため閉業。
昭和22年・主婦の友社美容部を担当。同年、東京都美容師組合長、
全日本美容連盟副会長就任。戦後の混乱期の美容界再建に尽力。
昭和23年・財団法人マリールイズ美容学院を設立。理事に就任。
昭和27年・順宮厚子親王殿下のご慶事、皇太子殿下立太子礼以来、
皇后陛下の調髪・着付など、宮家の美容関係を拝命。
昭和31年・マリールイズ美容学院理事長就任。
昭和38年・藍綬褒章、厚生大臣より衛生功労賞。
昭和44年・勲五等宝冠章受章
昭和46年6月16日逝去

全日本美容講師会名誉会員、日本ヘアデザイン協会名誉会員。
著書に「花嫁」「続・花嫁」(百日草刊)などがある。

「美容師であることと、同時に一人の人間として社会に通用する者たれ」「一に人格、二に技術」を長年のモットーとしていた。